ガイド研修2日目
(いよいよチェコへ!)
RONSPERG(現在のチェコ名はPOBEZOVICE
ロンスペルグと、ポービェツオヴィーチェ




ちなみに国境付近は税関になっているので、
本来は写真は禁止であります。
隠し撮りですが、アンマリ真似しないで下さいよ。
なんちゃって、、、。

昨夜の楽しい、ルジチカ家での酒盛り?の後、ノイマルクトを、8時半に出発した我々は、ミュンヘンからのメンバーを、レーゲンスブルグ中央駅で、ピックアップし、又午後から戻ってきて見学をする予定の、フルト イン バルトで、今回の案内役を引き受けてくださった、村木先生を迎えて、チェコの国境へと向かった。
なんとなく、元の共産圏に入るのは、今ではなんでもないはずなのに、妙に、緊張するな〜。
そして、光子のロンスペルク城を見学できると思うとワクワクドキドキである。
ドイツ側の国境の町、フルトから国境まではボヘミヤの森を抜け10分ほどで、到着をする。
そのときどきで、国境を越えるのは、時間がかかる場合もあるとのことだったが、今回は、ほんの5分も待っただろうか?
スムーズにチェコに入れた。


人口1751人
1359年に、町が存在した、記録がある。


若き日のスメタナがこの町の音楽教師であった。
1955年に町は伝統記念物保護下に置かれる。





左から、村木女史、ドイツ系の通訳さん、村長さん
チェコに一歩足を踏み入れた途端、荒涼とした風景が目に飛び込んでくる。計画経済は農業には、特に難しかったようで、コルホーズのなれの果てと言うところらしい。
チェコは、スロベニアとともに、EU加入の有力候補だけれど、それでも、20分も車を走らせると、全く違った別の世界が広がり、人々は、ついこの間まで、非常な困難のもとに、行き来していたのだと思うと、感慨もひとしおだ。
国境から、荒涼とした大地が広がる場所を、30分程走ると、りんごの並木道があり、光子が7人の子供達を育てた、ロンスペルクの村が見えてくる。
クーデンホーフのお城は、もっと大きいと、私は、頭の中で想像していた。
村が見えたらすぐに、お城は目に飛び込んで来るに違いないと、思ったのだが、バスから降りても余り目立たず、一体どこにあるの???

そして、ほぼ予定の時間だったのだろうか?

村の広場には、新しく村長さんに選出されたと言う、30代半ばの立派な恰幅の村長さんと、今は、3人しかいらっしゃらないそうだが、オーストリアハンガリー帝国人だったドイツ民族の、最後の居残り組、貴重なドイツ語の通訳の役目を、果たしてくださるおばあちゃまが、待っていてくださった。
その当時のロンスペルグには、ドイツ系住民が2000人以上で、チェコ系住民は、たった3人だったそうだ。


1846年にクーデンホーフ=カレルギー伯爵家が購入。
1945年までの伯爵家の住まいとなっていたお城。




工事現場の横には、立派なお手洗いが用意されている。
この部分の建設費は、日本女性達が出し合った。
向かって左のガラス張りの部分が観光案内所、
絵葉書なども置いてあり、右の小さい入り口が、
立派なお手洗いへの入り口。

寄付金を拠出された女性達の名前はプレートに刻まれている。

観光客誘致を願う町の意気込みも,解かろうと言うもの!



クーデンホーフ伯爵の日記が焼却された中庭。


ドライバーさんも感慨深げに仰ぎ見てる??

  修復済みの部屋

壁から現れた
フレスコ画

ダビデ王らしい?

最後の当主
ヨハネスの紋章

上の写真はサモネイルですので、クリックすると大きくなりますよ!



お城の見学を終え、レストランに向かう
丁度、下校時間なのか、小学生が通った
右の写真は、真新しい全面改装中のレストラン。
玄関口も、改装は終了したらしい。
ここもお手洗いは、立派だった。
我々の食事をした隣の部屋は工事の最中だった。
工事を見学しながら、お食事を頂いた。
村に4軒しかないレストランのひとつ。
お城のすぐ側、50M程の場所。


余り珍しくは無いかもしれないが、
チェコの水、MATTONと、
チェコのピルゼンビール
水は軟水なので、ビールが黄金色になる。   
さすがにチェコである。物価は上がったといっても安い!4コースメニューが
飲み物込みで6オイロ!!であった。

お昼を頂いた後、我々はドイツ領の国境の町、FURTH IM WALDへと、向かった。

途中又国境を通過したが、そこには、ベトナム系の人たちの露天免税店と、立派な、免税店が混在し、
我々も、免税ショッピングの恩恵にあずかった。
旦那が好きな、ゴロアのシガレットは、ドイツの約半分の値段であった。

旅行者は、こういう、免税ショッピングも楽しめる

ドイツ人好みのブランドのジーンズ、革製品なども置いてあった。