この写真クリックしてね、大きくなります。 |
3月9日(土曜)
午前8時FRANKFURTの駅近くのホテルを出発。
某社のガイド研修のはじまりまじまり〜。
約1時間15分ほどで、大学と古城の町、ドイツを訪れる日本人観光客が必ずといってよいほど訪れる町がこの町、ハイデルベルク。TESTRUNなので、時にもよるけれど、まず、先にお城へと上がる。
左の写真は、お城の照らすから眺めたハイデルベルクの町並み。流れている川は、ライン川の支流にあたるネッカー川。9時20分から10時15分まで滞在予定の場所。我々はもう何百回と訪ねているので、時間的にははしょりをしてしまった。 |
このネッカー川の進行方向はさてどっち?
写真の向かって右から左上方へと流れていて、この先約20KMほどにある、古城街道の出発地点としても有名なマンハイムのまちにてライン川に合流。朝まだ寒かったので、写真も寒寒した感じがある。家並みが赤いのは、ちょっと見えてる、小高い山のはしっこはオーデンヴァルトの森の一部にあたり、ハイリゲンベルクと呼ばれる。哲学者の道(京都のはまねっこ)はここにあり。勿論このTOURは1日で予定通りだと11時間半かけて、ミュンヘンに到着しなくてはならず、哲学の道にはいけないのだ。めだった高い塔は手前が聖霊教会、左手がイエズス会の教会。 |
|
|
上の写真は、お城の中庭にぽつんとあるエリザベートの一夜門と呼ばれる門.1600年代の初めちょうどその頃の神聖ローマ帝国をまっぷたつに分けて行われた30年戦争。このために特に今のドイツの領土が大戦地となったため、国土も国民も疲弊して、ドイツの近代化が200年も近隣強国からは立ち遅れてしまう原因としても有名な戦争だが、その30年戦争の立役者となったこのお城の城主、プファルツ選定侯のフリードリッヒ5世が、相思相愛だったというイギリスのスチュアート家からお輿入れしてきたエリザベートの19歳の誕生祝に、彼女を、朝1で喜ばせるために誕生日の前日につくらせたといわれる門だ。結局は30年戦争を新教徒側に立って戦い、敗れて、オランダに亡命した彼だが、ハネムーナーがここで写真をとると彼らが幸せにしてくれるというジンクスがある。(ほんまかいなあ?) |
15世紀のオリジナルがそのまま残っている見張りの塔でその当時は跳ね橋を吊り上げることが出来るようになってた。プファルツ宮中伯のシンボルのライオンちゃんたちが抱えていたのは銀の盾だったそうな。金になりそうなものは1600年代の終わりに、攻めて来たルイ14世太陽王の兵士が盗んでいってしまった。きっと、鋳造しなおして銀の食器になってしまったかも、、。
その塔の中にある魔女の噛み後といわれているのが、右の写真の鉄の輪。結構重いのだけれど、写真で見ても一寸噛み後ぽいものが確認できるでしょう?酒好きだった城主があるとき、酒に酔った勢いで、そうさな〜、この鉄のわっかっこ噛み切ったやつにゃ〜、このお城を褒美にあげようじゃないの。とのたもうたらしいよん。みんな寄ってたかって噛み切ろうとしたんだけど、誰も噛み切れない。最後に魔女さんのご登場〜。
|
|
|
わたしゃ、なんといっても、魔女ざんすよ.こんなの朝飯前といったかどうか、、、。それでも、しっかりと作成されたドイツの職人芸の真髄を見せるこの鉄の輪っかは魔女さえも噛み切ることは出来なかったのだ。けど、意地を見せた彼女の噛み後だけはこのように残っているのだそうです。(ほんまか!)この上には鉄の落とし格子もあるのです。そこを通り抜けると中庭。この中庭はゴシックからルネッサンス期までの建造物がひと目で見渡せるということでも非常に貴重。左はこの中庭で一番新しい5世のお父さんの、フリードリッヒ4世が造った館。ご先祖様の像で飾られている。 |
|
アルプス以北で最も美しいルネッサンスのファサード(正面玄関)を持ったオットーハインリッヒ館 |
|
左上の写真ご覧あれ!地面になにやら見えるでしょう?これは赤色砂岩のテラス(1番上の写真の景色はこのテラスから写したもの)で岩がへこんでる!これあは男性の足型なのです。某社の黒一点のTさんがその右足の型に足を合わせたところ?さあさあ、ご覧あれぴったしかんかん!!フリードリッヒ4世の館のちょうど裏側に当たるこのテラスの足型は、ある騎士が重い甲冑を装着したまま、館の最上階から飛び降りたときに、甲冑のあまりの重さに右足が砂岩の床にめり込んで出来上がったといわれているのだ。火事で慌ててとか、酒によってとか色々理由があるけれど、最も有力なのは、殿のいぬまに、奥方に言い寄ったもしくは言い寄られた |
(こっちの方がドイツでは真実味があるが、)騎士が突然戻った殿に慌てふためき、慌てて飛び降りたのだという言い伝えだが、この言い伝えを採用した場合、もちろんこの足型にぴったりのシンデレラボーイはプレイボーイで女たらしの浮気者と、いわれているのですけど、、。(おっと、Tさんにこのページ読まれないように気をつけないとね、ふふふ。)ちなみに私も試したけれど、ぜーんぜん全くあわないのです。ああこの足型ちゃんって何て正直なんでしょうか!
右の写真は実際にワイン樽として使われた世界最大の樽で容量は221726Lも入るのです。落書きで汚された壁にかかっているプレートには1751年にハイデルベルクを再建した(ルイ14世が攻めて来たとき、焼け野原と化した)カールテオドールにより造られたものとある。奥にあるこげ茶の物体がそ
|
|
|
の樽なのだけれど、王冠をかぶった緑の盾にも、彼のイニシャルであるCとTがデザインされている。
左の一見バーのようなのは、このあたりのワインは生産地でいうと、ビュルテンベルクになるが、それを売っているお店で、18万L入るワイン樽のあるフロアーにある。ブルーのグラスに入れて試飲はどうですか?となる。ご免なさい、ここのはちょっと一押しではありません。ただしブルーのグラスにはお城印が入っていてここだけしか買うことが出来ない代物で、つまりここだけの限定品。これに興味のある方はワインのお味は諦めてね。
駐車場に10時15分に集合して旧市街へとTOURは続くはず。
|